バックドロップクルディスタン

 先日、ポレポレ東中野で「バックドロップクルディスタン」という映画を見てきました。あるクルド人難民の家族と日本人の青年をめぐるお話で、とても爽やかで生きる希望に満ちた映画でした。
 個人的な事と、社会をつなげる回路がなくなっている時代に、ここまで個人的繋がりを社会的な問題とつなげていくことができる作家はとても少なく、彼のひたむきな情熱と純情なまでの真摯さがこの映画に深みをあたえていると思った。
 「どうして日本という国は難民を受け入れないの?」「そもそもクルド人難民って何?」「どうして僕は彼らを助ける力がないの?」「どうして日本人は難民に無関心なの?」そういった彼の中にある問いとか、苛立ちとか、やりきれなさとか、そういったものがとても丁寧にフォローされていて好感がもてたのです。
 たぶん、こういった映画は「活動家」や「ジャーナリスト」という枠が先にきてしまう人にはなかなかつくれないものだとおもいました。そういう意味でも「ひとりの視点から世界をまっすぐにみていく」事の大事さをしみじみと感じました。
 何か社会問題という枠の中で語られる当事者というものは(この場合はクルド人難民のご家族の方々)レッテルの中で怒っていたり、暴れていたりする場面だけがスペクタクル的に報道されるだけですが、この青年の暖かい愛情の目線はそういった報道がしてきたレッテルを溶かすだけの力を持っていました。人は笑ったり、楽しんだり、食べたり、踊ったり、泣いたりするものですけれど、そういった当たり前の人としての当事者はなかなか、コンマ数秒の報道の世界では描かれないからです。
 とても貴重な時間を共有することができて、私はとてもうれしかったし、いつかこの青年と会って「素敵でしたよ」って伝えることができるといいなと思いました。
 そして、日本人としてのわたしたち自身に投げかけられた一青年からの問いかけにわたしたちがどういう風にボールを投げ返していけるのかゆっくり考えて行きたいと思います。