長野聖火リレーのメディアでの扱い 

長野でのトーチリレーのyoutubeの映像を見ましたが、とんでもないですね。もう、戦争ですよ。見てる間はプロレスの試合をみてるみたいでそれなりにエキサイトして見てましたが、途中から疲れて来た。
 基本的にカメラが日常に普及して、携帯も含めて撮影者が増えた事は私はとっても嬉しいし、いろんな人が映像を撮る事がマスメディアへのカウンターになる事はもちろん前提として肯定しています。それをふまえた上で言わせて欲しい事が。確かに大手メディアのとりあげない生々しい映像が沢山あり、法的にも「アウト」な映像もありますね。でも、それがじゃあ「正義」か・・・というと、どうなんでしょうか。一般の市民が撮った映像だから全部「正義」ってワケでもないと思うんです。水を差すようですが。一つ一つのカメラにも撮影者がいて、その撮影者一人一人にも個性や指向性があります。撮るアングル、立っている場所、発する怒号、どれをとっても「公平」なものなんて無いです。全部が政治ですよね。だから「市民が撮ってるから真実で、だからこれをみて●●は反省しる!」みたいなファナティックな考え方にも、とても疲れます。まるで南京の写真を論争して政治利用しているのとたいして変わらない。手ブレもあるけど、段々気持ち悪くなって来てぐったりして眠りました。なんかすごく虚しかった。
 大手メディアと拮抗するにはもっとみんなで集まって知恵を出しあい戦略的に動かないとダメなんだろうなあ・・・と。そしてリテラシー教育があまりに追いついていない事がとても危険だなあと・・・思ってしまいました。最近嫌な事が多いんですけど、まあ、なんていうかこういったネガティブな体験をふまえた上でもっと先を目指す事ができたらいいなあ・・・って。


 おまけ:1)長野駅前のモニュメント(丘みたいになってる)の頂上に立ってる赤い旗を振る中国人サポーターを丘の下から撮影している日本の若者が「あいつら逮捕しろよ!」とか「降りてきやがれ!」とか言いながら撮ってるんだけど、だんだんエキサイトしてきて撮るのを忘れて(手を降ろして抗議しているから)道路ばっかり映ってる動画をみて、「あーまあ、確かにこれはプロじゃあ撮れないよな。リアルだよなあ」って思いました。そういう意味では面白いかな。
2)「仲裁に入る人」って結構映ってますね。仲裁しながら自分たちの立場を説明しようと試みている中国人を数人みました。でも、これきちんと撮れている画像殆どない。ホームビデオだからマイクが悪いのもあるし、外部マイクがついてないととてもじゃないけど音を拾えない(くらい周りがうるさい)近寄れば拾えるけど緊迫した状態だからお互いに安全な距離からしか撮れない。ジレンマです。でも相手が何を言っているのかきちんと聞くっていう事は意識的ならできたはず。後で字幕を入れる事だってできるから。だからとてももったいないなあ・・・と思いました。