腐女子市民権獲得前夜

 なんかこのタイトル↑中国語みたいw今日も某大学での801、BLの授業に行ってきました。さて、今日はクイアスタディーズについて、ちょっと難しい議論だったのです。自分で復習してみます。授業の後の飲み会で腐女子のみなさんとお好み焼きを食べつつ、話が深まりました。最近「となりの801ちゃん」やらしょこたんの影響で「俺もぜひ腐女子の彼女が欲しい」という様な以前ならあり得ない社会現象が起こっています。腐女子コードの中に「自分を腐れ女と言うからには、人並みかそれ以上に努力してこ綺麗にしなくてはいけない」という掟がありますが、それってどうなのよ?という問題提起がありました。
 私自信も「醜い腐女子」「キモい氏ね」と言われる事への恐怖からなるべくお洒落しなきゃ!という脅迫観念があります。でも「あの人って腐女子なのにすごいスタイルもいいし美人だよね」と褒める時にかならず背徳観があります。「じゃあ、ブスでデブでダサくて、全くモテ無かった十代の時の腐女子だった自分を否定するの?」という背徳観です。私の原風景の中にはひとりぼっちでそこにただ立ち尽くしている「ブサイクな腐女子」があって、それが私の原点なんですね。だから、美人でお洒落な腐女子を褒めちぎる場面に遭遇するたびに心のどこかがチクっと痛むんです。特に腐女子腐女子に対して「あんなブサイクなコありえないよね」と言っているのを見るともう「ズガーン」とライフルで撃たれたような衝撃を受けるワケです。(その場では「そうだよねー」と同調している自分も痛いしw)
 後は、資本主義の問題もあります。女子が自発的にお洒落している様に見えますが、もしも恐怖心からそうしているならばそれは完全に資本にやられてると思います。「ボーリングフォーコロンバイン」の中でマリリン・マンソンが言及している通り、人々は恐怖心や劣等感から消費に走る。だとしたら「電車男」以降のオタク男子も、腐女子もどこからが自分の意志なのか、どこからが資本の意志なのかあいまいなラインの中で「おしゃれなオタク」しているんじゃないか?・・・と思うんです。
 もっと言うならばDIYでやっていたオタク創世記はコスプレ衣装も手縫いで自作していたのに、今や、安価な衣装を中国の寒村のお針子に縫わせているわけで、単にオタクが資本主義化してグローバリズムに乗っかっただけじゃんか・・・ともとれる。
 脱線しました。
 とにかく、私は問いたい。見られる性としての腐女子とかじゃなくって、市民権を得た後にはもっとアグレッシブに「ブサイクだって、太ってたって、化粧してなくたって、それで腐女子で何が悪い」と言える様な未来が来るといいんじゃないかと思いました。腐女子過激派の登場はちょっと早すぎますか?w

<一口メモ>そういえば、ウーマンリブ全盛期の時に田中美津のところに集まって来た女性達も全員美人だったという事を思い出しました。市民権を得る前夜というのはこういうものなんですかね? 



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