終わらない学園祭

 今日、801友達と話しをしていて中島梓の「タナトスの子供達」という本についての話になった。この本の中ではグローバルな消費社会とか男性優位社会とかに過剰に適応してしまったのが女オタク(801とかボーイズラブとか)文化で、依存症などもこれと類似した現象だと言っていている。要するにそういった「タナトス的な現象は本人が幸せならばそれでいいじゃない」というのが中島の結論だった。少なくとも2001年の段階でこの本を読んだ時に私は中島的な物言いを手放しで賞賛したものだが、でも振り返ってみて「やっぱりおかしいな」と思った。滅びの美学に自己陶酔するのは簡単だが、我にかえってみると恥ずかしい。97年に出版された本だけど、90年代って「エヴァンゲリオン」が流行したり、ACという言葉が認知されたり(まあ歪曲された認知が多かったけど)かなり排他的で閉塞感があるモノに関しても社会の側が全肯定していた時代だったと思う。
 例えば自分は19歳で一度オタクを無理矢理やめたら摂食障害(依存症)を発症したんだけど、10年くらい依存症とつき合ってきて「あーもう一生治らねえな」と諦めた頃に症状が止まって・・・それはよかったけど、でも死んだ友達も結構いたし、実際「一生モノ」としてつき合っている人もまだ沢山いる。もしも自分が死んだり、依存症現役だとしても果たして「幸せだったらいいじゃない」と言えただろうか?
 女ヲタは楽しい。つるんで話したりすると最高に楽しい。はっきりいって異性と「つがう」事よりもよっぽど楽しい。浮き世の悩みは全部ふっとぶ。確かに私はラッキーで幸せだ。でも、もしもコレが単に消費社会や男性社会への迎合であったり、死へ向かうタナトス的な後ろ向きなモノの中でやっている「終わらない学園祭」みたいなモノだと一蹴されてしまうのにはなにやら抵抗感を感じますね。なんかもっとこうハッピーでポジティブなものとしての解釈はないのかな〜。
 ・・・継続審議ですね。

摂食障害腐女子http://d.hatena.ne.jp/rena1125/20071124