身体とか地球とか・・・
(コ難しいコ理屈がコざかしいと思う人は読まない方がいいです〜)
半年ほど前に友人に整体をして貰ったことがありますが、そのときに「あなたは頭で考えすぎだね」と言われたんですよ。頭に熱がたまってて下に降りてきてないみたい。冷え性なんですがね。
確かに頭で考えすぎでいろんな妄想も広がって、何がなにやらわかんなくなってたのはあるかも。
ある飲み屋で飲んでいて、子育ても終わってしばらくたった主婦の人と話していて、いろいろ話が広がったんですが、そのときに彼女がやっぱり子育ての中での失敗について語っていて、大体以下に書いたような事が彼女の家庭でも起こっていたみたい。団塊世代の娘としては確かに見に覚えの有ることで、自分の事をいいあてられているみたいではずかしかった。
自分は大変に真面目な子どもでしたから、なんでもダイレクトに受け取ってきた。
知識で「地球環境がどうしようもなく悪化している」とか『リベラルな』戦後の教科書で教えられても、だから何かを理解しているわけではない。自己判断をするコトは剥ぎ取られているのにそれをインプットされても混乱とかが待っていて、うまくアウトプットできず中で腐ってしまうんではないかと思う。おおまじめに「地球どうしよう・・・」とか悩んでしまうのはあまりに子どもかわいそう。
でもサジェスチョンとか大人からも無いわけだから、「おいおい球投げといて逃げるなよ」って感じですよね!?そりゃーまあ、やさぐれますよ。暴力がそのはけ口になったりすることもあると思う。私の場合は自分に対する暴力だったワケですが。
あまりにも考えすぎたんだと思う。そしてあまりに長い時間やっていたので方向修正が難しかったんだと思う。そして身体が大事だなんてどの大人も教えてくれなかった。
でも、「体育の授業はあったし、部活動もあっただろう!?」と言われると・・・。いやそういう体育ではなくて、体を知る機会があまりに無かったと思います。やっぱり体って自分の思うようには操作できなかったり、むしろ自分の意識を裏切るコトが多いわけで・・・でも、それでいいわけで。
そうなると俄然万能感とか肥大した自意識とかも消えるわけで、そういう所で何か「謙虚」っていうものがどういうコトか実感できたりするのかもしれないし、法則通り、理論通りには物事は動かないって事も理解できるかもしれない。
自分の身体を考えるようにもしも地球の事も考える事ができたら、それはとてもバランスがとれていてよかったんじゃないかと思う。
・・・・とここまで書いて
「ああ、やっぱり私は頭で考えすぎな所がなおってないかも」と思ったw
でも、彼女とお酒がのめた事はよかったな
実母とは話せない事が、偶然であった人とは話せたりするのは幸運だと思う