記録すること、される事の間にあるもの

 夕方、同業の友達が遊びに来る
 撮る、撮られるについて、特にコミュニティーの中での微妙な問題について話す。今度これをテーマにシンポジウムを開けるといいなーって話になる。
 歴史や事実を記録することの必然性、それに付随して起こるさまざまなトラブル(プライバシーや肖像権や心象の問題)について一度界隈総結集してきちんと話し合うべきだとういうことですが、意外とこういうことについて日本の中では話されてないような気がする。海外ではどうなんだろう?そういう事ももちろんまだ知らない。
 いままでなされてきたこういった議論には特にマイノリティーの視点が希薄だし、もっともっと自分たちで積み重ねていかないといけない問題が山積しているように思える。(まあ前からマスコミや、研究者や、リベラルだと自称しているメディアの中にもとんでもない取材や調査をしている人々を見てきたので、はっきりいってもう、マスコミだから非政府だからどっちが正しいって図式は崩壊していると思う)

today my friend (he is video activist)coming my home and we told about portraitright and shootingright. we experienced anti G8 summit action and we have very big reflection point.we should to have meeting about how to building knowledge about shooting.im very interested in
foreign case about this things.
so maybe we have symposium about this problem few months later.